社長のひとりごと
- 2026/07/07
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千手寺拝山
20数年ぶりになりますか、険しい山道を車で登って、頂きの千手寺様に、先日、遷化された村口素高閑栖和尚の御霊前に参じました。
久しぶりに、村口紹亨和尚様にお会いしてお悔やみの言葉を申せました。小学3年生の時に、父に連れられて、初めて伺った事を鮮明に記憶してます。当時は、日本の心日暦より先駆けて、花園会本部の日暦を、よちよち歩きの弊社に製作を依頼して下さった時と推察します。閑栖和尚が花園会本部の日暦製作の担当者で在られたのでした。それから、12年間は、製作、販売も弊社がさせて頂いておりました。その後、販売は花園会本部に移行して、今に至る歴史が有ります。父から、聞いた話しで、初年度の正月用に、当時の梶浦逸外老大師の墨蹟を、閑栖和尚から預かり、車に置いて、暫し、車から離れた隙に、墨蹟を盗難される事態が有ったそうです。数日後に、無事に手元に戻ったのですが、盗難直後に、父は、自分の不注意を詫びて、閑栖和尚に落ち込んだ様をお見せしたら、叱ることなく、『竹本さん、よろしいやん。管長さんに、又、書いてもらいましょ。』と慰めて頂いた昔話しを随分と経ってから聞いた事がありました。閑栖和尚が花園大学にて、事務局のトップになられた後も、父との交流は絶える事なく、御恩とお優しさを忘れることなく続き、「禅画報」を花園大学の卒業生を編集長に迎えて6年間、発刊を継続した際は、紙面広告に協力下さるのみならず、有り難い励ましを頂き、父に、「雑誌の発刊は苦労はがりでしょうが、無駄では無かったですよ。」と父と花園大学に挨拶に行った際にかけて下さったお言葉を拝聴した父の眼から光るものをみました。
村口素高和尚様、安らかにおやすみ下さい。心からの哀悼の意を表します。
合掌。



- 2026/07/04
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父の命日
平成27年7月4日に亡くなった時と同じの土曜日にて、本日を迎えました。昨日に、弘源寺様にお参りに来て頂き、お墓参りも終えて、亡くなった時を回想しながら仏壇に手を合わせました。生前に、口うるさく言われた『人より先に先に。失敗した時は、うろたえながらも、対処しろ。ポケットに手を突っ込んでる姿は負け犬の象徴なのでするな。人に気を遣わす事はするな。』などなどを今一度、肝に銘じて社業に専念するのが供養だと思ってます。合掌。


- 2026/07/01
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文月到来。
京都の町も、祇園祭の始まりです。
これから、暑い、熱い京都の出番です。
涼しげな幽松軒老大師の墨蹟をご紹介致します。


- 2026/06/12
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建仁寺の庭
本日は、建仁寺の御用達の総会でした。拝観前の本堂の庭を眺めながら、祇園辻利さんのお茶を一服頂き、贅沢な時間でした。

- 2026/06/09
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南虎室老大師の色紙
色紙類を整理してましたら、素晴らしい画讃が出てきました。老大師の故郷の島根県を思い、揮毫されたんでしょうか。私はお会いした事はないのですが、父から聞いた老大師にまつわるエピソードを一つ紹介させて頂きます。昭和の時代のことです。南禅僧堂にて、在家の方々が集まられる斎会があった時に、日暦を出店販売させてほしいと依頼したそうです。
老大師の返答は、「僧堂で物を売らしてほしいと言われたのは初めてだなぁ。」と言われながらお許し下さったそうです。その時のご縁で、松栄堂の先先代の畑社長が購入して下さり、今に至っております。有り難い限りです。おそらく、創業間もない時で父も必死で、老大師も寒松軒が社名を授けて下さり、日暦のネーミングをして頂いた事も知っておられ、特別にお許し下さったんだと思います。

遷化されて、五十回忌も済み、月日は流れましたが仏恩は忘れてはならないとしみじみと、色紙を拝して思います。合掌。






